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"I'm here." "I'm glad you're there." "We are St. GIGA"
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​(ノンスクランブル時に放送された「音の潮流・密やかな森」)

(淀川長治さん出演の有料放送開始宣言CM。)

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​(サテラビューとスーパーファミコンを合体させた図。)

​(衛星放送受信機、サテラビューのCM。)

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​(サテラビューの番組表。)

赤道上空3万6千キロメートル、ゆり3号a。セントギガはここで生まれました。

 

セントギガは1990年の試験放送を得て、1991年3月30日にBS-3ch副放送にてノンスクランブル放送を開始しました。J-WAVE出身の横井宏・桶谷裕治の二人によって生み出されたといってもいいでしょう。

 

音楽を知り尽くした先鋭的なスタッフが集結し、最新のデジタル技術を多数投入し、視聴率に拘らず番組構成に趣向を凝らしたため、放送内容は非常に実験的であった。

潮の干満や月の運行に連動した「タイド・テーブル」に基づく緩やかな音の変化、世界各地でDATテープにデジタル録音した自然音、世間ではあまり知られていない最新の洋楽の紹介、オンラインゲームの先駆けとしてのサテラビュー、当時としては高音質なBS放送による32kHz/16bitの無圧縮PCM放送、WOWOWプログラムガイドの掲載ページにおける自然を中心としたビジュアルなど、ニューエイジ・ミュージック的な思想で従来の放送局の枠組みを超えた試みが多数展開されていました。

 

​1991年9月1日には月額600円の有料放送を開始し、WOWOWと並ぶ世界初の衛星放送になりました。

10月1日からはゆり3号bに受信衛星を変更。BS-5ch Bモードでの放送へ切り替わりました。

​1993年には加入者の伸び悩みから、音の潮流の時間を一部切り取ってヒットチャート番組が開始されるようになりました。

タイド・テーブルの崩壊は、ここから始まっていたわけです。

 

 

1995年4月23日、セント・ギガ衛星データ放送 スーパーファミコンアワーが放送開始されました。

​(ノンスクランブル放送のため、チューナーのみでも試聴可能でした。)

コールサインはJO33-BS-TDM1。

 

しかし、当時の子供たちには高価すぎるBS受信機と設置の難易度、なによりスーパーファミコン需要がなくなっていたために普及はしませんでした。

 

​放送は1年で縮小され、トーク番組は大幅に削られてしまいましたが、その代わりに大目玉となる、「サウンドリンクゲーム」番組が増えました。

 

​(まだ紹介できることはありますが、あまりにも情報量が多いためここでは割愛させていただきます。気になる方はギャラリーをご覧ください。)

1999年、任天堂は衛星データ放送から撤退。残ったセントギガ一社で放送を継続し、放送名もセント・ギガ衛星データ放送へ変わりました。

コールサインは引き続き、JO33-BS-TDM1が使用されました。

 

 

​2000年にはサテラビューの放送を終了。終了時にはオリジナルゲーム数本が再放送され続けました。

(最後に放送された番組は「BS Dr.マリオ」)

 

​翌年2001年、セントギガは民事再生法を適応、事実上の倒産になりました。

 

​(サテラビュー放送終了時のビデオ。)

​その後のセントギガ

​2003年、ワイヤービーによって会社再建を果たし、放送チャンネルもデジタル放送の333chが追加されました。4月1日からはクラブコスモに名称を変更し、セントギガはワイヤービーへ吸収されることとなりました。しかし、これも長くは続かず、3か月後の7月には放送免許の譲渡が決定し、10月からはWorld Independent Networks Japanによって放送継続されることに。

(以後、WINJと訳する。)

​ワイヤービーは放送免許譲渡直後の10月15日に破産。

(もともとトラブルメーカーであり、当時の掲示板では批判が殺到するほど。)

(解約できない、電話に出ない、スクランブルが解除されない、たびたび放送が止ま等)

 

※2ch参照。

 

2006年10月31日、放送機器の更新を目的にWINJは放送を休止する。

その後も放送が再開されることはなく、2007年11月24日に放送免許取り消しが決定。

こうして、16年間にわたって放送されてきた、世界初の衛星放送は幕を閉じることとなった。

 

 

 

わたしはここにいますーーーあなたがそこにいてよかった

 

ST.GIGA forever・・・

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